歩行と観察―江代充の二篇「V字」「段の幻」を中心として(2)
さて、ここまで江代作品における視覚性が距離に関わるものであること、情景を的確に描写しているがゆえに経験の揺れ動きを伴うこと、そしてその視覚世界が明部/暗部、光/影の両面を内包していること等々を大まかに確認してきた。さらに付け加えると、江代作品には身体と視覚、身体と意識が遊離しているような幽体離脱的な感覚もそこはかとなく漂っており、ごくありふれた日常の風景のなかに幽玄の印象を醸しだしている。身体と視覚、身体と意識。そこに幽体離脱的な懸隔の印象が生じるのだとしたら、それもまたひとつの(主体内で生じる)「距離」の問題である。
ここから先は、「V字」「段の幻」という二篇の詩をより集中的に分析する。短いながらに二篇とも、形式と内容の高度な一致を果たしており、「風景に対する主体の関わり方」を読解するのにふさわしい作品に仕上がっている。
まず、「V字」の全文を引用する。
ふたりで十歩にも満たないうち
出掛けるべきはこの薄い日差しに関連した
ただ土のわき道に身を置いたこの場ではないか
鳩をみるあいだ
手でふくらみを作ると
からだの盛り上がった鳩が生きてうごいていた
ここで餌を得ることのある鳩が十数羽
ひくく地べたをあるき
この手のなかにもと
眼の前のわたしのなかへ願うきもちがたかまると
鳩がいてかれらが近寄り
総数として左右のひろがりをみせていた
(「V字」)
分析にあたり、全12行の「V字」を3行1組の4パートに分けて検証してみよう。4パートへの分割は単に数の割り切りの良さというだけでなく、詩の構成・展開という側面からみても適切な区切りであると思われる。
まず、冒頭三行。「ふたりで十歩にも満たないうち/出掛けるべきはこの薄い日差しに関連した/ただ土のわき道に身を置いたこの場ではないか」。この三行は「詩の書き出し」「主体の歩き出し」を両義的に示唆すると同時に、詩の構造全体に係る問いかけとして至極重要な意味をもつ。「ふたりで十歩にも満たない」と書くくらいなのだから、詩のなかの主体は歩みを共にする誰かを傍らにしながら、実際のところほぼ歩き出していない状況なのだろう。しかも、「出掛けるべき」という強めの断定を用いて「ここではない遠くの何処か」への志向を匂わせながら、結局のところその行き先として称揚されるのは、場所の特権性を微塵も感じさせない「ただ土のわき道に身を置いたこの場」なのだ。「わき道」に「身を置いた」のが主体ではなく「この場」というのは、場所に場所を重ねる妙な言い回しである。普通名詞の「わき道」に指示代名詞の「この場」をわざとあてがう再帰的な表現とも取れるが、ともあれここから浮かび上がるのは、「どこか」へ向かうと見せかけて「この場」に逗留する番(つがい)のような「ふたり」の姿である。
この問いかけが「全体に係る」と判断したのは、結局のところ詩の最後に至るまで「ふたり」の歩みに目立ったアクションが読み取れず、最初の問いかけどおり遠くへと向かうことなく詩が収束していくからだ。詩のなかの主体、それがひとりであれふたりであれ、ほとんど不動のままに鳩を眺めているという情景、わき道という「周縁」の空間で存在を充足させているという消極的な様態が「V字」のすべてなのである。
詩は次のように続く。「鳩をみるあいだ/手でふくらみを作ると/からだの盛り上がった鳩が生きてうごいていた」。動いているのは人ではなく鳩のほうだ。鳩を眺める主体は鳩にいったい何を仮託しているのか。「手でふくらみを作ると」と「からだの盛り上がった鳩が生きてうごいていた」のあいだには何の因果性もないはずだが、因果性のないふたつの出来事をさらっと繋げてしまう(ゆえに空恐ろしくもある)この行運びは、詩のなかの主体が「手でふくらみを作る」=「鳩の丸々としたフォルムを身体の一部で真似ること」があたかも鳩の生命力の発露と連動しているかのように読者に読み取らせる。
続く三行。「ここで餌を得ることのある鳩が十数羽/ひくく地べたをあるき/この手のなかにもと」。おそらく鳩たちにとって、この場所は決まった習慣として人間から餌を得ることが出来る安寧の地なのだろう。鳩たちは非常に人間に慣れていて、逃げる素振りを見せないどころか、「手でふくらみを作」っただけでその手のなかにも餌があるのではないかと条件反射的に期待を向けてくる。この三行で、鳩のいる外部空間と主体の「手のなか」という内部空間が有機的に交通する。最後のパートになると、鳩と「わたし」はそれぞれの輪郭、それぞれの領分を超えてより一層未分化な状態となり、風景のなかでまだらな図像を描いて交錯する。「眼の前のわたしのなかへ願うきもちがたかまると/鳩がいてかれらが近寄り/総数として左右のひろがりをみせていた」。ふと疑問が生じる。「わたしのなかへ」と願うきもちがたかまっているのは鳩なのだろうか。前行からの流れを継時的に読めば、「手のなか」の餌を求める鳩の願いが「わたし」の内部へと転移してきた様子が自然と理解される。人間が鳩の欲望を勝手に代弁し、「願うきもち」などという言葉を臆面もなく書きつけるなど、通常であれば陳腐な表現になりかねないところだが、距離を経て「人」「鳩」の交流が描かれる「V字」においては不思議と腑に落ちる表現におさまっている。
もっとも、これには別の読み方もある。行から行の遷移において、省かれている主語がじつは鳩から人へ置き換わっていると推測してみよう。つまり、「眼の前のわたしのなかへ願うきもち」がたかまっているのは、鳩ではなく「わたし」の傍らにいる親密な存在のほうなのではないか。親密な存在の恋情の高まりが餌を乞う鳩の存在を借りて「わたし」の方角に発動しているのだとしたら、この場合、〈わたし-鳩-あなた〉という三項の関係をこそ念頭に置いて読むべきなのではないか。書かれなかった主語としての「あなた」、隠れた主題としての恋情がここに浮上する。
最後の一行、「総数として左右のひろがりをみせていた」。この一行だけで、どこかバラバラで離散的な鳩たちの群れが優れて視覚的に、空間の広がりとともに浮かび上がってくる。ここまで読んできた読者は、詩のタイトルにおける象徴的な「V」の字の字形が、わき道の形状と同時に、鳩の群れの左右への広がりや開けた空間までを示していることを最後の最後で会得するだろう。それはまた、鳩という人間以外の生き物を介して「ふたり」の閉じた関係に訪れた「開かれ」の契機、ひいては光=恩寵の兆しとも解釈できる(ちなみに、それまで部分から部分へと移行していた視点が最終的に光に満ちた開かれた空間に連れ出されるは、他のいくつかの江代作品に見られる傾向である)。「V字」は祈りの詩である。そう解釈するならば、「ふくらみを作」った手とは、単に鳩のフォルムを真似たかたちではなく、聖画像のごとく胸元で合わされた手のひらの祈りのポーズとしても読めてくるだろう。
ここまでの考察であらためて明らかになるのは、「V字」がドラマチックな展開のいっさいを欠いた観察と恋情と信仰の詩であり、特別な出来事も情景の大きな変化も描いていないということだ。最初の三行をもう一度引用しよう。「ふたりで十歩にも満たないうち/出掛けるべきはこの薄い日差しに関連した/ただ土のわき道に身を置いたこの場ではないか」。問いかけのかたちを借りてはいるものの、すでに問いの答えは主体のなかで確信されているに違いない。この冒頭三行には未然と已然が重ね合わされている。また、「この場」とは詩人が「身を置」いている場所、すなわち詩の言葉をこれから書きつけていく紙の上のことも含意していると考えられないだろうか。いつも起点となる「この場」、それは必ずしも特別な場所であったり、「ここではないどこか」といったロマンティシズムを惹起する領域であったりする必要はないということだ。「V字」という詩は、「詩は飛躍によって読者を非日常へと連れ出すもの」という通念に静かに対立するかたちでみずからの詩観を表明している。
歩くこと、観察すること、風景のなかに関わっていくこと……もしくは関わらないままに少し距離を置いた場所から眺めてみること。これらの営みが「詩を書く行為」そのものと濁りなき一致を果たし、詩人の詩観を表明するに至る様子は、「段の幻」でも確認することができる。
段差を見せて
崖のほうへ落ち込んでいった草地の外れに
いく棟か寝泊まりの宿舎が同じ色の列をなして並んでいる
ゆうべ自分の荷を提げそこへ向かうとき
土の設えの急な階段を降りて行ったが
すぐに休止の踊り場へきて土の上をつたい
また同じように次の段へと向かっていた
わたしたちにはまだ知識が足りなくて
開きかけた蕾の隙の花弁の数も示せないのに
段段は段の数がさらに少なく
いつも同じような途上から
一つの段を降りるだけで
まず手始めに土の下地のある
わたしのいる場所へとたどり着いた
(「段の幻」)
この詩の舞台は、山の斜面を切り崩してつくられた集落が見晴らせる小さな山道だ。詩のなかの主体は集落の宿舎に何かしらの縁を持つ者であり、完全には舗装されていない山道の階段を降りながら、一日の疲れを携えて仮住まいの宿舎の部屋へと向かっている。この情景のなかで、とりわけ下降の運動は重要なモティーフである(そういえば「V字」にも、「ひくく地べたをあるき」という印象的な一行が視点を低い位置に引き付ける役割を担っていた)。詩人は高い場所を目指して上昇するよりも、低い場所にみずからを沈めていくこと、ただ土の上に降り立つこと、剥き出しの土の地面と共にあることを詩のモティーフとして選ぶ。こうした志向にも詩人の信条、詩観、さらには宗教観までが読み取れるのだが、それよりも注目したいのは「降りていく」という動詞がはらむ運動のグラデーションのほうだ。折しも時刻は光が和らいで次第に闇が優勢になっていく夕暮れ時である。土の階段は次第に闇に紛れて目視が利かなくなり、段を降りる足元も不安定な視界のなかで不分明になっていくだろう。このシチュエーションを踏まえるとき、階段は、光から闇へ、見えるものから見えないものへの移行をあらわす優れて抽象的なモティーフとなるのだ。
しかも、斜面につくられた階段がどれくらいの長さなのか、どれほどの段数を持っていてどこまで続くのかは詩のなかでまったく明示されない。「また同じように次の段へと向かっていた」「いつも同じような途上から」といったフレーズからは、下降の運動が延々と続くような覚束なさすら漂ってくる。あたかも賽の河原の小石積みである。そしてこの詩が醸し出す幽玄の印象は、何とも解釈しがたい矛盾をはらんだ最後の数行でより濃厚になる。「いつも同じような途上から/一つの段を降りるだけで/まず手始めに土の下地のある/わたしのいる場所へとたどり着いた」。
階段を降りる主体が最後に「たどり着いた」のが「わたしのいる場所」というのは、随分と倒錯した言い回しである。「着いた」は完了形の動詞であるから、階段を降り切った先に「わたし」が待ち構えているという状況は幽体離脱的であり、行為の実現と同時にようやく「わたし」が「わたし」に回帰し、それまで乖離していた「わたし」の身体と意識が一致を果たしたさまを幻視させる。
はたして詩のなかの主体にとって階段を降りる行為は、どれだけ現実の行為として手応えがあるものなのか。「一つの段を降りるだけで」から「まず手始めに土の下地のある」へと移行する二行のあいだの懸隔を思わずにはいられない。ひとつの段を降りること、それがつねに基礎的にして原初的な「下地」へと戻ることと同義なのだとしたら、ここでの歩みは必ずしも前進や進展を意味しないことになる。「段」とは無条件に確信される現実の基盤、もしくは時間と空間の漸次的な進行・変化をあらわした抽象的なモデルではなく、その都度の歩き出しのなかで探られていくものなのであり、詩のタイトルが端的にあらわすように「幻」と言い表されるべき残像の連続のようなものと見るべきだろうか。
「段の幻」は、詩を書く営みそのものを再帰的に言及した詩である、とひとまず結論づけておこう。階段の「段」とは文章の段落の「段」という比喩にもスライドできるだろうし、休止の踊り場から再び次の段へと向かう下降の運動は、逡巡しながら言葉を探る行為を即座に連想させる。「わたしたちにはまだ知識が足りなくて/開きかけた蕾の隙の花弁の数も示せないのに/段段は段の数がさらに少なく」という三行は、段を降りていく=詩を書くほどに選択できる言葉が絞られ、より削減的になっていく詩作の在り様を物語っているようでもある。また、「段の幻」においてもっとも視覚性を喚起するのは、三行目の「いく棟か寝泊まりの宿舎が同じ色の列をなして並んでいる」という情景描写の一文だが、「同じ色」の反復が比喩するのは地味に研鑽を続ける詩作の日々とも解釈できるのではないか。
本稿では「V字」「段の幻」の二篇を主に取り上げ、「風景に対する主体の関わり方」という観点から江代充の作品世界を知るための端緒を探ってきた。その作品世界において、歩行や観察は詩作とほぼ同義であり、劇的な展開を欠いた身近な行為と密に結び付いていることが多少なりとも確認できたのではないかと思う。
江代作品において、詩作は必ずしも日常から飛躍した特権的な営為ではなく、聖性の顕現を大仰に表現するものでもない。また、「風景に対する主体の関わり方」とは言っても、詩のなかの主体は必ずしも特別な行為を起こして「関わり方」を深めていくわけではない。なかには「まだ何も起こっていない」という未然の状態を維持した詩さえ書かれているのである。対象を見つめ、言葉を削ぎ、歩行の基盤を成す地面、すなわち低い場所へと詩性を引き落としたとき、あるいは傍らや周縁に存在する何気ない事物や自然に視線を投げかけたとき、はじめて宗教とは異なるかたちの光が言葉の世界に充ち、「この場」という空間が開ける。
本稿を締めくくるにあたり、江代充という詩人をなぜ分析対象に選んだのか、その動機についても少しだけ触れておく。「出掛けるべきはこの薄い日差しに関連した/ただ土のわき道に身を置いたこの場ではないか」(「V字」)と問いかけ、「まず手始めに土の下地のある/わたしのいる場所へとたどり着いた」(「段の幻」)と着地する江代の作品では、詩が書き出される原初の場として土が剥き出しになった裸の地面があり、詩が成立する基盤への意識が見受けられる。「詩語解体」のシリーズでは、「詩はみずからが詩となる条件をまず問い、ときにその条件が無効化するまでに詩語を解体していく必要がある」というテーゼを作品分析を通じて考察したいと考えているが、江代によるこの二篇は、超越的な対象への信仰を日常的な歩行の場で思索する態度に「解体」の作法が見出されるのではないかと感じ、今回の考察に至った。
最後に、江代の詩観と信条が清澄な言葉遣いのなかに圧縮された「歩行オネシモ」という詩の一部を引用しよう。
道に出掛けた当のわたしは
父から聞いたオネシモの名を思い巡らし
それをそっと口にする オネシモのことばの端を
過ぎ越すようなシの一音に
死の文字を当て嵌めてしまうことから逃れ
これからはオネシモの名とともに
さらに身近な歩行に関わろうと思っていた
(「歩行オネシモ」『切抜帖』)
オネシモとは新訳聖書に登場する信徒の名前であり、聖書の文脈では「有用な者」という意味をもつ。言うまでもなく、オネシモの「シ」の音には「死」だけでなく「詩」の文字が当て嵌められる可能性が潜在しているのだが(そして「死」や「詩」を連想せざるをえない「シ」音の呪縛に直面する詩人は江代に限らず数多存在すると思われるが)、「過ぎ越すようなシの一音に/死の文字を当て嵌めてしまうことから逃れ」の二行は、安易な意味の重ね合わせを賢明にも斥け、オネシモの名をオネシモのままに救済している。信徒の名は詩人の日常的な歩行の行為へと引き寄せられた。ここには紛れもなく歩行と詩作と信仰の密なる一体化がある。詩を書く行為が現実には何の影響も及ぼさない無用の術だとしても、また日常からの飛躍=奇蹟を引き起こさなかったとしても、変わらず詩作を続けるという表明が「さらに身近な歩行」への関わりという一文から静かに力強く伝わっては来ないだろうか。
はたしていったいどのような条件が言葉の羅列を詩として足らしめ、読む者に「これは詩」という感慨を引き起こすに至るのか。「さらに身近な歩行」とは、詩が詩として成立するか否かの瀬戸際のラインを問う、極限にまで切り詰められた形式の探究と呼べるものなのかもしれない。この種の探究に近い手触りをもつ詩人として、詩とそうでないものを峻別して生の極限状態を提示する川田絢音のいくつかの作品が思い浮かぶが、それについてはまた稿をあらためて別の機会に論じることにしたい。
(了)
(*1)江代の経歴については以下に収録された「生い立ち インタビュー」を参照。『現代詩文庫 江代充詩集』思潮社、2015年。
(*2)同上。
(*3)行から行への移行に際してとりわけ目立つ「経験と経験のあいだに挟まる間隙」の印象については、阿部嘉昭による以下の江代充評が大いに参考になる。「江代詩は体験想起を原資にしている。その想起じたいは精確なのだ。のち、『梢にて』(二〇〇〇年)で築かれる詩的文体をかんがえればこの点は自明だろう。ところがその想起では、書かれるうちに「自然と」省略や視点の多元化が起こり、複文形成による過重化がともない、さらにはそれを詩として書く動機にあたる措辞の偶発的な詩文化すらもたらされる。しかしそこにいわゆる詩語への耽溺がない。」(阿部嘉昭『詩と減喩 換喩詩学II』思潮社、2016年、106頁)。