歩行と観察―江代充の二篇「V字」「段の幻」を中心として(1)
散歩を好み、散歩に詩作のモティーフを求める詩人はこの世に山ほど存在すれど、散歩時の視覚に最大限の悟性と感性を働かせる詩人、みずからの歩行と視点の遷移を内省的に記述できる詩人というのは、ほんの一握りの数しか存在しないのではないように思われる。
むろん、このような書き出しは一種のレトリックであって、私は「一握り」の仕事にほとんど遭遇できないことをわざわざ嘆きたいのではない。ここで俎上に載せたいのは、その「一握り」の存在として刮目すべき詩作品を数多く残してきた詩人・江代充である。江代充と言えば、「明示法」で知られる貞久秀紀と比肩して言及される機会も多く、現代詩の世界ではすでに一定の評価を確立しているベテランの詩人である。この「詩語解体」のシリーズでは、詩人の「人となり」よりも書かれた作品そのものに即して分析を進めてきたつもりだが、作品の生まれる背景を確認する作業も無益ではないと思われるため、(既知の人間にとっては不要な情報だとしても)まずは江代の簡単なプロフィールを基本事項として確認しておきたい。
江代は1952年静岡県生まれ。『現代詩文庫 江代充実詩集』(2015)に掲載されたインタビューによると、大学ではろう学校の教師になるための聾課程で学び、卒業後は教職に就いて詩作を継続した(*1)。第1詩集『公孫樹』(1978)を皮切りに、『みおのお舟』(1989)、『白V字 セルの小径』(1995)、『隅角 ものかくひと』(2005)、『切抜帳』(2019)など、これまで9冊の詩集を世に送り出している。キリスト教への信仰が色濃く影響した作品も多く、長年にわたって形成されたそのスタイルを安易に要約するのは憚られるが、本稿では「散歩者」としての江代充に焦点を当て、とりわけ「詩に表出された視覚性」という観点から「風景に対する主体の関わり方」を巡って分析を進めてみたい。「風景に対する主体の関わり方」という切り口はおのずと、「詩人は詩という表現手段に対してどのような態度で臨んでいるのか」という詩観の問題、すなわち「主体の詩への関わり方」にも連なってくるはずである。
江代は広島にある詩人さかもとひさしの家に下宿していた時期、付近の比治山や段原町を歩くことを日課にしていたという(*2)。もっとも、こうした公式プロフィールで裏を取らずとも、実際に江代の詩を読めば、身近な場所の散策と観察が作品に存分に反映されているのは明々白々である。庭、木、隣家、小径、草地、野辺、林、川、地面。江代作品には自然風景にまつわる名詞が綺羅綺羅しい修飾を削いだ状態で頻出する。そしてこれらの名詞が朴訥と顔を出す詩行の集まりからは、寂れた空き地や起伏に富んだ地形を実際に歩き、伸びゆく木枝を目でなぞったり、鳥の姿に目と留めたりする主体の残像が曖昧模糊としたイメージとなって浮かび上がってくる。
試みに散歩者をふたつのタイプに分類してみよう。ひとつは未知の場所に出向くことを愉しみとし、気になった場所や事物に対して直接的なコンタクトと探索を仕掛けていく「狩猟型」の散歩者。もうひとつは、遠くへ出掛けることよりも身近で馴染みの場所を繰り返し歩くことを好み、人や物と積極的に交わるというよりは、少し距離を置いてじっくり観察することに価値を置く「内省型」の散歩者。疑いようもなく江代は後者のタイプの散歩者だろう。その作品から窺えるのは、眺める主体と眺められる対象との距離感が、詩作における節度もしくは倫理のようなものとして保たれているということだ。結果、江代作品のなかでは、他の諸感覚に比べて視覚的な記述が優れて目立つことになる。そもそも視覚とは、対象と距離を置くことで適正に作動する感覚器官なのだから、「内省型」散歩者の江代作品において視覚にまつわる描写が卓越するのは必然の流れなのである。
詩人はよく歩き、歩行の運動のなかで視界に飛び込んできた事物を局所的に拾い上げ、風景のなかに居合わす主体の視点の遷移を詩行のなかに落とし込む。その行運びはときに、直前の行で示された視覚経験を引き継ぎつつも、認知のフレームを別のレベルに変換して視覚経験を編み直すものとなる。どうやら詩人の眼差しは、風景の全体像を捉えて定位すること、語に語を重ねて風景の解像度を上げること、部分と部分を繋ぎ合わせてひと連なりの情景を完成させることには躍起になっていないようだ。むしろ詩のなかの言葉は、視覚によって得られた情報を必ずしも累積させず、残像に残像を重ねるような曖昧さを醸し出しながら、間隙を伴いつつ情景の断片を継ぎ合わせていく(*3)。そして江代作品のこうした特性により、読者は「丹念に言葉を拾って読み進めても要(かなめ)となる描写がどこか足りない」「風景が掴めない」という欠如の印象を得る。語られていない余白にこそ読むべき何かが隠れている。その言語分布の在り様を絵画に喩えるなら、何も描かれていない白いキャンバスの地をあちこちに残した、離散的な筆触で構成されるセザンヌの風景画に近しいところがあるのではないか。
視覚性の高い詩でありながら肝心のところで視覚性が希薄という矛盾した様態。あるいは、像を結ぶ(結像する)や否やその像を綻ばせる(解体する)、照準を合わせたかと思いきや焦点をぼかすという、定位を逃れたカメラアイ。しかしこうした視覚性の表現は、風景を眺めそれを描写するという行為がそもそも主体/客体双方の揺れ動きを伴うことを忠実に示すものでもある。たとえば、二羽のスズメが地面の上でピョンピョン飛び跳ねる様子を眺める詩人の眼差しは、スズメの動きの把捉しがたさを把捉しがたさのままに以下のように表現する。
粗い土の地にいる二羽のスズメが
雨の降りている地所のうえで白濁し
代わる代わるその位置を置き換えるように
ひくく跳ねながら
せまい土の範囲を先へ先へと移動している
なかで時折りお辞儀をみせる一羽については
まるい頭部と尾との間がひどく短くみえ
二つの眼の先で動くくちばしが
ところを変えて
いつもどこかの方向を指しているものとみえた
(「降雨」)
むろん、このような書き出しは一種のレトリックであって、私は「一握り」の仕事にほとんど遭遇できないことをわざわざ嘆きたいのではない。ここで俎上に載せたいのは、その「一握り」の存在として刮目すべき詩作品を数多く残してきた詩人・江代充である。江代充と言えば、「明示法」で知られる貞久秀紀と比肩して言及される機会も多く、現代詩の世界ではすでに一定の評価を確立しているベテランの詩人である。この「詩語解体」のシリーズでは、詩人の「人となり」よりも書かれた作品そのものに即して分析を進めてきたつもりだが、作品の生まれる背景を確認する作業も無益ではないと思われるため、(既知の人間にとっては不要な情報だとしても)まずは江代の簡単なプロフィールを基本事項として確認しておきたい。
江代は1952年静岡県生まれ。『現代詩文庫 江代充実詩集』(2015)に掲載されたインタビューによると、大学ではろう学校の教師になるための聾課程で学び、卒業後は教職に就いて詩作を継続した(*1)。第1詩集『公孫樹』(1978)を皮切りに、『みおのお舟』(1989)、『白V字 セルの小径』(1995)、『隅角 ものかくひと』(2005)、『切抜帳』(2019)など、これまで9冊の詩集を世に送り出している。キリスト教への信仰が色濃く影響した作品も多く、長年にわたって形成されたそのスタイルを安易に要約するのは憚られるが、本稿では「散歩者」としての江代充に焦点を当て、とりわけ「詩に表出された視覚性」という観点から「風景に対する主体の関わり方」を巡って分析を進めてみたい。「風景に対する主体の関わり方」という切り口はおのずと、「詩人は詩という表現手段に対してどのような態度で臨んでいるのか」という詩観の問題、すなわち「主体の詩への関わり方」にも連なってくるはずである。
江代は広島にある詩人さかもとひさしの家に下宿していた時期、付近の比治山や段原町を歩くことを日課にしていたという(*2)。もっとも、こうした公式プロフィールで裏を取らずとも、実際に江代の詩を読めば、身近な場所の散策と観察が作品に存分に反映されているのは明々白々である。庭、木、隣家、小径、草地、野辺、林、川、地面。江代作品には自然風景にまつわる名詞が綺羅綺羅しい修飾を削いだ状態で頻出する。そしてこれらの名詞が朴訥と顔を出す詩行の集まりからは、寂れた空き地や起伏に富んだ地形を実際に歩き、伸びゆく木枝を目でなぞったり、鳥の姿に目と留めたりする主体の残像が曖昧模糊としたイメージとなって浮かび上がってくる。
試みに散歩者をふたつのタイプに分類してみよう。ひとつは未知の場所に出向くことを愉しみとし、気になった場所や事物に対して直接的なコンタクトと探索を仕掛けていく「狩猟型」の散歩者。もうひとつは、遠くへ出掛けることよりも身近で馴染みの場所を繰り返し歩くことを好み、人や物と積極的に交わるというよりは、少し距離を置いてじっくり観察することに価値を置く「内省型」の散歩者。疑いようもなく江代は後者のタイプの散歩者だろう。その作品から窺えるのは、眺める主体と眺められる対象との距離感が、詩作における節度もしくは倫理のようなものとして保たれているということだ。結果、江代作品のなかでは、他の諸感覚に比べて視覚的な記述が優れて目立つことになる。そもそも視覚とは、対象と距離を置くことで適正に作動する感覚器官なのだから、「内省型」散歩者の江代作品において視覚にまつわる描写が卓越するのは必然の流れなのである。
詩人はよく歩き、歩行の運動のなかで視界に飛び込んできた事物を局所的に拾い上げ、風景のなかに居合わす主体の視点の遷移を詩行のなかに落とし込む。その行運びはときに、直前の行で示された視覚経験を引き継ぎつつも、認知のフレームを別のレベルに変換して視覚経験を編み直すものとなる。どうやら詩人の眼差しは、風景の全体像を捉えて定位すること、語に語を重ねて風景の解像度を上げること、部分と部分を繋ぎ合わせてひと連なりの情景を完成させることには躍起になっていないようだ。むしろ詩のなかの言葉は、視覚によって得られた情報を必ずしも累積させず、残像に残像を重ねるような曖昧さを醸し出しながら、間隙を伴いつつ情景の断片を継ぎ合わせていく(*3)。そして江代作品のこうした特性により、読者は「丹念に言葉を拾って読み進めても要(かなめ)となる描写がどこか足りない」「風景が掴めない」という欠如の印象を得る。語られていない余白にこそ読むべき何かが隠れている。その言語分布の在り様を絵画に喩えるなら、何も描かれていない白いキャンバスの地をあちこちに残した、離散的な筆触で構成されるセザンヌの風景画に近しいところがあるのではないか。
視覚性の高い詩でありながら肝心のところで視覚性が希薄という矛盾した様態。あるいは、像を結ぶ(結像する)や否やその像を綻ばせる(解体する)、照準を合わせたかと思いきや焦点をぼかすという、定位を逃れたカメラアイ。しかしこうした視覚性の表現は、風景を眺めそれを描写するという行為がそもそも主体/客体双方の揺れ動きを伴うことを忠実に示すものでもある。たとえば、二羽のスズメが地面の上でピョンピョン飛び跳ねる様子を眺める詩人の眼差しは、スズメの動きの把捉しがたさを把捉しがたさのままに以下のように表現する。
粗い土の地にいる二羽のスズメが
雨の降りている地所のうえで白濁し
代わる代わるその位置を置き換えるように
ひくく跳ねながら
せまい土の範囲を先へ先へと移動している
なかで時折りお辞儀をみせる一羽については
まるい頭部と尾との間がひどく短くみえ
二つの眼の先で動くくちばしが
ところを変えて
いつもどこかの方向を指しているものとみえた
(「降雨」)
「代わる代わるその位置を置き換えるように」跳ねるニ羽のスズメとは代替可能な「数」であり、それを眺める散歩者にとって個体差はさして問題ではなく、最初にそれらを見出だした「引き」の視点においては「粗い土の地」にまぶされた「白濁」、つまり模様のようなものでしかない。スズメは地のなかの図であると同時に地に埋没する図である、というゲシュタルト認知のごとき視覚把握がここで働いている。その次の行では視点が二羽のうちの一羽にフォーカスするものの、「まるい頭部」と「尾」、「二つの眼」と「くちばし」といった細かい名指しによる分節は、一羽の個体を別の単位(複数の部分)へと細分化し、「先へ先へ」「ところを変えて」「いつもどこかの方向」といったフレーズと相俟って、スズメの気紛れで予測不可能な動きを今度は前景化する。しかも空間は「いつもどこか」という言い回しが端的に示すように、右も左も東も西もなく、具体的な指針を欠いて抽象化されたままである。
ゲシュタルトから運動へ。つまりここでは観察者の認知のフレームが変位しているわけだが、このような変位は江代作品においては滑らかかつ自然に行われているため、読者はごく微細な違和感をおぼえながら、行から行、段から段へと読み進めることになる。読みのポイントとなるのは、行から行、段から段への移行の際に生じる微細なズレ、すなわち視覚像の遷移を感知できるか否か、である。
先ほど私は江代作品が「距離」を保っていると指摘したが、他方、いくつかの詩には「距離」を埋める眼差しを想像させるような記述も見られる。たとえば、以下の詩の冒頭六行。
前方の草のあいだに二人の人がいて
何もないわたしの手もとを見つめていた
胸のちかくに子を抱いて両腕にかかげ
しずかに静止しながら
こちらへかがみの光を宛てるように
子をあやし動かしている
(「語調のために」)
「わたし」の前方の少し離れた先には二人組がいて、その二人組のうちひとりは胸元に子ども(おそらくは赤子)を抱いているのだが、その抱き方が「こちらへかがみの光を宛てるように」と直喩的に描写されるとき、「わたし」と「二人の人」のあいだには「かがみ」の反照によって結ばれた通路が光の一筋となって出現する。換言すればそれは、離れた場所にある/いる対象との距離感を、「かがみ」という濁りなき直喩の召喚によって「見えるもの」にする視覚的な操作である。しかしながらこの、本来は不可視の空間である「距離」を視覚化する操作は、対象をただ「見えるようにする」だけでなく、明部と暗部、光と影という相反する両要素を伴うものとして理解されなければならない。「わたし」と「二人の人」のあいだは「かがみ」の明澄な光の通路で結ばれる、それと同時に、照準を当てた対象以外の空間は周辺減光のように暗くなって像を埋没させる、というふうに。ある対象が「見えるようになる」ためには対象を照らす光が必要となるわけだが、裏を返せばそれは、「見えるもの」の背後にはつねにヴェールに包まれた「見えないもの」があるということだ(これは視覚における焦点と盲点、中心視と周辺視の関係に近いかもしれない)。あからさまではないにせよ、また詩の上で明示されなくとも、江代作品はこの真理を前提としている。たとえば別の詩で言えば、
一羽の鴨が
しずかな岸の近くをすすむあいだ
よく形状をたしかめ得なかった木のかげが
一つの数となって
土の縁とわたしをふくみ
周囲にひとしく伸べられていることがわかる
(「小さな林にはいり」)
という情景描写が含む中心/周縁の関係。ここにおいて視覚のフォーカスが絞られているのは水辺を優雅に漂い泳ぐ「一羽の鴨」であるが、その「一羽の鴨」が「図として見えている」状況の支えとなるのは、水辺の周縁を取り囲む「よく形状をたしかめ得なかった木のかげ」、つまり輪郭らしい輪郭を持たずに辺り一帯に広がる樹木の影=観察する主体をも飲み込む総体としての暗部なのである。
光だけでなく闇に対する感性が保持されているのは、江代作品において「入っていく」ではなく「這入っていく」という表記がしばしば採用されていることからも読み取れるだろう。というのも、「入る」ならぬ「這入る」には、より対象の深部・暗部へと潜っていく=光が差さない狭い空間へと侵入していくニュアンスがあるからだ。詩人が視覚的感性に極めて優れながら、視覚が不能になる「見えない領域」にも鋭敏であるのは、不可視にして絶対的な存在を思う彼の信仰の問題とも深いつながりがあるはずだ。
(後半に続く)